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第​9​章

「淫行から逃げ去りなさい」

「淫行から逃げ去りなさい」

「淫行,汚れ,性的​欲情,有害​な​欲望,また​強欲​つまり​偶像​礼拝​に​関し​て,地上​に​ある​あなた方​の​肢体​を​死ん​だ​もの​と​し​なさい」。―コロサイ 3:5

1,2 バラム​は​エホバ​の​民​を​害する​ため​に​何​を​企て​まし​た​か。

釣り人​が,お気​に​入り​の​場所​に​出かけ​ます。狙う​魚​は​決まっ​て​い​ます。餌​を​選ん​で,釣り糸​を​投じ​ます。しばらく​する​と,糸​が​ぴん​と​張り,竿​が​しなり​ます。釣り人​は​リール​を​巻い​て​魚​を​引き寄せ,笑み​を​浮かべ​ます。選ん​だ​餌​が​ぴったり​だっ​た​の​です。

2 西暦​前​1473​年,バラム​と​いう​男​も​頭​を​ひねり,餌​を​選ん​で​い​まし​た。と​は​いえ,狙う​獲物​は​神​の​民​です。その​民​は,約束​の​地​の​手前,モアブ​の​平原​に​宿営​を​張っ​て​い​まし​た。バラム​は​エホバ​の​預言​者​だ​と​自称​し​て​い​まし​た​が,実際​に​は​貪欲​な​男​で,イスラエル​を​のろ​う​ため​に​雇わ​れ​て​い​まし​た。しかし,エホバ​が​介入​なさり,バラム​は​イスラエル​を​祝福​する​こと​しか​でき​ませ​ん。何​と​し​て​も​報酬​を​得​たい​バラム​は,イスラエル​を​誘惑​し​て​由々しい​罪​を​犯さ​せれ​ば​神​が​自分​の​民​を​のろ​う​こと​に​なる​だろ​う,と​考え​ます。そして​その​ため​に,モアブ​の​若い​魅惑​的​な​女​たち​と​いう​餌​を​投じ​ます。―民数記 22:1‐7; 31:15,16。啓示 2:14

3 バラム​の​企て​は​どの​程度​成功​し​まし​た​か。

3 この​策略​は​うまく​いっ​た​でしょ​う​か。ある​程度​成功​し​まし​た。イスラエル​の​男子​数万​人​が​餌​に​食いつき,「モアブ​の​娘​たち​と​不​道徳​な​関係​を​持ち」まし​た。さらに,豊饒​と​性​の​神​で​ある​嫌悪​す​べき​ペオル​の​バアル​を​含む,モアブ​人​の​神々​を​崇拝​し​始め​まし​た。その​結果,イスラエル​人​2万4,000​人​が,約束​の​地​の​すぐ​手前​で​命​を​落とし​た​の​です。何​と​悲惨​な​こと​でしょ​う。―民数記 25:1‐9

4 大勢​の​イスラエル​人​が​不​道徳​の​えじき​に​なっ​た​の​は​なぜ​です​か。

4 この​災い​が​生じ​た​の​は​なぜ​でしょ​う​か。民​の​多く​は​エホバ​から​離れ​て,邪悪​な​心​を​育て​て​い​まし​た。自分​たち​を​エジプト​から​救出​し,荒野​で​養い,約束​の​地​へ​安全​に​導い​て​くださっ​た​神​から​離れ​て​い​た​の​です。(ヘブライ 3:12)使徒​パウロ​は​この​出来事​を​振り返り,こう​書い​て​い​ます。「彼ら​の​うち​の​ある​者​たち​が​淫行​を​犯し​た​よう​に,淫行​を​行なう​こと​が​ない​よう​に​し​ましょ​う。彼ら​は​一日​に​二万三千​人​が​倒れる​結果​に​なり​まし​た」。 *コリント​第​一 10:8

5,6 今日​の​わたしたち​に​とっ​て,モアブ​の​平原​に​おける​イスラエル​の​罪​に​関する​記述​は​なぜ​有益​です​か。

5 今日​の​神​の​民​は,はるか​に​大いなる​約束​の​地​を​間近​に​見​て​おり,民数記​の​記述​に​は,その​民​に​とっ​て​重要​な​多く​の​教訓​が​含ま​れ​て​い​ます。(コリント​第​一 10:11)例えば,今​の​世​は​古代​の​モアブ​人​と​同じく,しかも​いっそう​大々的​に,性​に​夢中​に​なっ​て​い​ます。さらに,毎年​幾万​人​も​の​クリスチャン​が,イスラエル​人​を​おびき寄せ​た​の​と​同じ​基本​的​な​餌​で​ある​不​道徳​の​えじき​に​なっ​て​い​ます。(コリント​第​二 2:11)ジムリ​は​厚かましく​も​イスラエル​人​の​宿営​の​ただ中​を​通っ​て​自分​の​天幕​に​ミディアン​人​の​女​を​連れ込み​まし​た​が,それ​と​同様,今日​の​神​の​民​と​交わる​一部​の​人​は​クリスチャン​会衆​内​で​腐敗​的​な​影響​力​と​なっ​て​き​まし​た。―民数記 25:6,14。ユダ 4

6 あなた​は,自分​が​現代​の​モアブ​の​平原​に​いる​こと​を​自覚​し​て​おら​れ​ます​か。待ち望ん​で​いる​新しい​世​が​目​の​前​に​見え​ます​か。そう​で​あれ​ば,神​の​愛​の​うち​に​とどまる​ため​に​力​の​限り​を​尽くし,「淫行​から​逃げ去り​なさい」と​いう​命令​に​従い​ましょ​う。―コリント​第​一 6:18

モアブ​の​平原​の​眺め

淫行​と​は​何​か

7,8 「淫行」と​は​何​です​か。淫行​を​習わし​に​する​人​は,まい​て​いる​もの​を​どの​よう​に​刈り取り​ます​か。

7 聖書​中​で,「淫行」(ギリシャ​語,ポルネイア)は,聖書​に​かなっ​た​結婚​の​枠外​に​おける​不義​の​性​関係​を​指し​ます。その​中​に​は,姦淫,売春,また​夫婦​関係​に​ない​人​たち​の​間​で​の,性​関係,オーラルセックス(口腔​交接)や​アナルセックス(肛門​交接),性器​を​刺激​する​ため​の​行為​など​が​含ま​れ​ます。同性​者​間​の​そう​し​た​行為​や,獣姦​も​含ま​れ​ます。 *

8 聖書​の​見方​は​明快​です。淫行​を​習わし​に​する​人​は​クリスチャン​会衆​に​とどまれ​ず,永遠​の​命​を​得る​こと​も​あり​ませ​ん。(コリント​第​一 6:9。啓示 22:15)それ​だけ​で​は​なく,現在​で​も​自分​自身​に​多大​の​害​を​招き​ます。信頼​と​自尊​心​を​失い,結婚​関係​に​亀裂​が​生じ​ます。良心​の​とがめ,望ま​ない​妊娠,病気​に​苦しめ​られ,さらに​は​死​に​至る​こと​さえ​あり​ます。(ガラテア 6:7,8)そう​し​た​悲惨​な​こと​だらけ​の​道​に​どうして​足​を​踏み入れ​て​よい​でしょ​う​か。しかし​残念​な​こと​に,多く​の​人​は​そこ​まで​考え​ず​に​最初​の​間違っ​た​一歩​を​踏み出し​ます。多く​の​場合​に​その​一歩​と​なる​の​は​ポルノ​です。

ポルノ ― 最初​の​一歩

9 一部​で​言わ​れる​よう​に​ポルノ​は​無害​です​か。説明​し​て​ください。

9 多く​の​国​で​は,雑誌​売り場​で​も​音楽​で​も​テレビ​で​も,ポルノ​が​前面​に​押し出さ​れ​て​い​ます。 * インターネット​に​も​ポルノ​が​あふれ​て​い​ます。一部​で​言わ​れる​よう​に​ポルノ​は​無害​でしょ​う​か。いいえ,極めて​有害​です。ポルノ​を​見る​人​は,マスターベーション​を​習慣​的​に​行なう​よう​に​なっ​て「恥ず​べき​性欲」を​募ら​せる​か​も​しれ​ませ​ん。 * そして​それ​は,セックス​中毒,倒錯​し​た​欲望,夫婦​間​の​深刻​な​不和,そして​離婚​に​さえ​至りかね​ませ​ん。(ローマ 1:24‐27。エフェソス 4:19)ある​研究​者​は​セックス​中毒​を​がん​に​なぞ​ら​え,こう​述べ​て​い​ます。「それ​は……増え広がっ​て​ゆく。快方​に​向かっ​て​ゆく​こと​は​めった​に​なく,治療​や​治癒​が​非常​に​困難​で​ある」。

インターネット​の​使用​場所​を​家族​の​共用​スペース​に​限る​の​は​賢明​な​こと

10 ヤコブ 1​章​14,15​節​の​原則​を​どの​よう​に​適用​でき​ます​か。(「 道徳​的​に​清く​ある​ため​の​強さ​を​得る」と​いう​囲み​も​ご覧​ください。)

10 ヤコブ 1​章​14,15​節​に​ある​次​の​言葉​を​考え​て​み​て​ください。「おのおの​自分​の​欲望​に​引き出さ​れ​て​誘わ​れる​こと​に​より​試練​を​受ける​の​です。次い​で​欲望​は,はらん​だ​とき​に,罪​を​産み​ます。そして​罪​は,遂げ​られ​た​とき​に,死​を​生み出す​の​です」。ですから,悪い​欲望​が​思い​に​入っ​て​来​た​なら,直ちに​それ​を​取り除き​ましょ​う。例えば,扇情​的​な​画像​が​目​の​前​に​現われ​た​なら,すぐ​に​目​を​背ける​か,コンピューター​を​消す​か,テレビ​の​チャンネル​を​切り替える​か​する​の​です。不​道徳​な​欲望​が​手​に​負え​なく​なっ​て​あなた​を​呑み込む​前​に,その​よう​な​欲望​に​屈し​ない​ため​に​必要​な​こと​を​何​で​も​行ない​ましょ​う。―マタイ 5:29,30

11 間違っ​た​欲望​と​闘う​際,エホバ​に​依り頼ん​で​いる​こと​を​どの​よう​に​示せ​ます​か。

11 わたしたち​の​こと​を​わたしたち​自身​より​も​よく​ご存じ​の​方​は,ご存じ​だ​から​こそ,こう​勧め​て​おら​れ​ます。「淫行,汚れ,性的​欲情,有害​な​欲望,また​強欲​つまり​偶像​礼拝​に​関し​て,地上​に​ある​あなた方​の​肢体​を​死ん​だ​もの​と​し​なさい」。(コロサイ 3:5)確か​に,こう​する​の​は​容易​で​ない​か​も​しれ​ませ​ん。しかし,愛​が​あっ​て​辛抱強い​天​の​父​に​助け​を​求める​こと​が​できる,と​いう​点​を​忘れ​て​は​なり​ませ​ん。(詩編 68:19)ですから,間違っ​た​考え​が​思い​に​入っ​て​来​た​なら,すぐ​に​エホバ​に​頼り​ましょ​う。『普通​を​超え​た​力』を​祈り​求める​と​とも​に,思い​を​無理​に​で​も​他​の​事柄​に​向ける​よう​に​し​ましょ​う。―コリント​第​二 4:7。コリント​第​一 9:27。「 どう​すれ​ば​悪い​習慣​を​断ち切れる​だろ​う​か」と​いう​囲み​を​ご覧​ください。

12 「心」と​は​何​です​か。それ​を​守ら​なけれ​ば​なら​ない​の​は​なぜ​です​か。

12 賢人​ソロモン​は​こう​書き​まし​た。「守る​べき​他​の​すべて​の​もの​に​勝っ​て​あなた​の​心​を​守れ。命​は​そこ​に​源​を​発し​て​いる​から​で​ある」。(箴言 4:23)「心」と​は​人​の​内面​で​あり,神​から​見​た​本当​の​姿​です。そして,わたしたち​が​永遠​の​命​を​得​られる​か​どう​か​を​決める​の​は,他​の​人​の​目​に​映る​わたしたち​の​姿​で​は​なく,わたしたち​の「心」に​つい​て​の​神​の​評価​です。これ​は​簡明​で​ある​と​同時​に​厳粛​な​事実​です。忠実​な​ヨブ​は,いかが​わし​い​目​で​女性​を​見​ない​ため​に,自分​の​目​と​契約​つまり​正式​な​協定​を​結び​まし​た。(ヨブ 31:1)実​に​りっぱ​な​手本​です。詩編​作者​も​同じ​思い​を​抱き,こう​祈っ​て​い​ます。「無​価値​な​もの​を​見​ない​よう,わたし​の​目​を​過ぎ行か​せ​て​ください」。―詩編 119:37

ディナ​の​愚か​な​選択

13 ディナ​と​は​だれ​です​か。友達​を​選ぶ​点​で​ディナ​は​愚か​だっ​た,と​言える​の​は​なぜ​です​か。

13 第​3​章で​見​た​とおり,友​は,良く​も​悪く​も​強力​な​影響​を​及ぼし​ます。(箴言 13:20。コリント​第​一 15:33)族長​ヤコブ​の​娘​ディナ​の​例​を​考え​て​み​ましょ​う。(創世記 34:1)ディナ​は,良い​親​に​育て​られ​た​に​も​かかわら​ず,愚か​に​も​カナン​人​の​女​の​子​たち​と​友達​に​なり​まし​た。モアブ​人​と​同様,カナン​人​は​不​道徳​の​ゆえに​悪名​高い​民​でし​た。(レビ​記 18:6‐25)カナン​人​の​男​たち​の​目​に​ディナ​は​狙い​やすい​獲物​と​映り​まし​た。父​の​家​で「最も​尊ば​れる​者」で​あっ​た​シェケム​も​同じ​よう​に​ディナ​を​見​まし​た。―創世記 34:18,19

14 ディナ​の​友達​の​選択​は,どの​よう​に​悲劇​に​つながり​まし​た​か。

14 ディナ​は,シェケム​に​会っ​た​時,性​関係​を​持つ​つもり​は​なかっ​た​でしょ​う。しかし​シェケム​は,性的​な​欲望​が​高まっ​たら​行なっ​て​当然​だ​と​カナン​人​が​考え​そう​な​事​を​行ない​まし​た。土壇場​で​ディナ​が​どんな​に​抵抗​し​て​も​無駄​でし​た。シェケム​は​彼女​を「とらえ」,「これ​を​犯し​た」の​です。シェケム​は​その​後​に​ディナ​に『恋する​よう​に​なっ​た』よう​です​が,だから​と​いっ​て,彼女​を​犯し​た​と​いう​事実​が​変わる​わけ​で​は​あり​ませ​ん。(創世記 34:1‐4)そして,苦しん​だ​の​は​ディナ​だけ​で​は​あり​ませ​ん​でし​た。ディナ​の​友人​選び​が​きっかけ​と​なっ​て​生じ​た​一連​の​出来事​に​より,彼女​の​家族​全体​が​恥辱​と​非難​を​被っ​た​の​です。―創世記 34:7,25‐31。ガラテア 6:7,8

15,16 どう​すれ​ば​真​の​知恵​を​得​られ​ます​か。(「 以下​の​聖句​を​黙想​し​ましょ​う」と​いう​囲み​も​ご覧​ください。)

15 ディナ​は,重要​な​教訓​を​学ん​だ​か​も​しれ​ませ​ん。そう​だ​と​し​て​も,つらい​仕方​で​学び​まし​た。エホバ​を​愛し,エホバ​に​従う​人​たち​は,人生​の​教訓​を​つらい​仕方​で​学ぶ​必要​は​あり​ませ​ん。神​に​聴き従っ​て,『賢い​者​たち​と​共​に​歩む』こと​を​選び​ます。(箴言 13:20前半そう​する​こと​に​より,「良い​こと​に​関する​行路​全体」を​理解​する​よう​に​なり,不​必要​な​問題​や​苦痛​を​避ける​こと​が​できる​の​です。―箴言 2:6‐9。詩編 1:1‐3

16 神​から​の​知恵​を​得​たい​と​強く​願う​人​は,その​願い​に​基づい​て​たゆま​ず​祈り,神​の​言葉​および​忠実​な​奴隷​級​の​供給​する​出版​物​を​定期​的​に​研究​する​なら,必ず​その​知恵​を​得る​こと​が​でき​ます。(マタイ 24:45。ヤコブ 1:5)謙遜​さ​も​重要​です。謙遜​で​あれ​ば​聖書​の​助言​に​進ん​で​従い​ます。(列王​第​二 22:18,19)例えば,クリスチャン​で​ある​なら,自分​の​心​が​不実​で​あっ​て​必死​に​なる​と​いう​こと​を​原則​と​し​て​受け入れ​て​いる​でしょ​う。(エレミヤ 17:9)しかし​現実​問題​と​し​て,愛​の​ある​助言​や​援助​を​必要​と​する​状況​に​なっ​た​とき,謙遜​に​助け​を​受け入れる​でしょ​う​か。

17 家族​の​中​で​どんな​状況​が​生じる​か​も​しれ​ませ​ん​か。父親​が​筋道​立て​て​どの​よう​に​娘​と​話し合える​か,説明​し​て​ください。

17 次​の​よう​な​状況​を​考え​て​み​ましょ​う。父親​は,娘​が​付き添い​なし​で​若い​クリスチャン​の​男性​と​一緒​に​出かける​こと​を​許し​ませ​ん。娘​は​こう​言い​ます。「お父さん​は​わたし​を​信頼​し​て​ない​の? わたしたち​は​悪い​こと​なんか​し​ない​わ」。この​子​は​エホバ​を​愛し​て​おり,良く​ない​意図​は​全く​ない​か​も​しれ​ませ​ん。しかし,「[神​から​の]知恵​に​よっ​て​歩ん​で​いる」でしょ​う​か。『淫行​から​逃げ去っ​て』い​ます​か。それとも,愚か​に​も「自分​の​心​に​依り頼ん​で」いる​でしょ​う​か。(箴言 28:26)おそらく​あなた​は,この​件​に​関する​父親​と​娘​の​筋道​立て​た​話し合い​に​役立つ​原則​を,ほか​に​も​ご存じ​でしょ​う。―箴言 22:3; マタイ 6:13; 26:41​を​ご覧​ください。

ヨセフ​は​淫行​から​逃げ去っ​た

18,19 ヨセフ​は​どんな​誘惑​を​受け​まし​た​か。どの​よう​に​対処​し​まし​た​か。

18 神​を​愛し,淫行​から​逃げ去っ​た​りっぱ​な​若者​が​い​ます。ディナ​の​異母​兄弟​ヨセフ​です。(創世記 30:20‐24)ヨセフ​は​子ども​の​ころ,ディナ​の​愚行​の​結果​を​目​の​当たり​に​し​まし​た。そう​し​た​記憶​が,また​神​の​愛​の​うち​に​とどまり​たい​と​いう​願い​が,後​に​エジプト​で​保護​と​なっ​た​に​違いあり​ませ​ん。ヨセフ​は​主人​の​妻​から「日​ごと​に」誘い​を​受け​まし​た。奴隷​です​から,辞表​を​渡し​て​出​て​行く​わけ​に​は​ゆき​ませ​ん。知恵​と​勇気​を​もっ​て​その​状況​に​対処​し​なけれ​ば​なり​ませ​ん​でし​た。ヨセフ​は​ポテパル​の​妻​の​誘い​を​幾​度​も​きっぱり​と​拒み,最後​に​は​彼女​から​逃げ去り​まし​た。―創世記 39:7‐12

19 考え​て​み​て​ください。もし​その​女性​に​つい​て​思い巡らし​たり,日ごろ​から​セックス​の​空想​に​ふけっ​たり​し​て​い​た​なら,ヨセフ​は​忠誠​を​保て​た​でしょ​う​か。おそらく​無理​だっ​た​でしょ​う。ヨセフ​は​罪深い​考え​を​もてあそん​だり​せ​ず,エホバ​と​の​関係​を​大切​に​し​まし​た。それ​は​ポテパル​の​妻​に​対する​言葉​に​はっきり​表われ​て​い​ます。いつも​こう​返答​し​て​い​まし​た。「ご主人様​は……私​に​対し​どんな​もの​も​差し控え​て​は​おら​れ​ませ​ん。ただし​あなた​だけ​は​別​です。あなた​は​奥様​だ​から​です。ですから,どうして​わたし​は​この​大きな​悪行​を​犯し​て,まさに​神​に​対し​て​罪​を​おかす​こと​など​できる​でしょ​う​か」。―創世記 39:8,9

20 ヨセフ​の​場合​に,エホバ​は​どの​よう​に​事態​に​介入​なさい​まし​た​か。

20 若い​ヨセフ​は​家族​から​遠く​離れ​て​い​まし​た​が,日々,忠誠​を​守っ​て​い​まし​た。エホバ​は​それ​を​ご覧​に​なり,どれ​ほど​喜ば​れ​た​こと​でしょ​う。(箴言 27:11)後​に​エホバ​は​事態​に​介入​なさり,ヨセフ​は​獄​から​解放​さ​れ​た​だけ​で​なく,エジプト​の​総理​大臣​また​食糧​管理​官​に​なり​まし​た。(創世記 41:39‐49)まさに,詩編 97​編​10​節​が​述べる​とおり​です。「エホバ​を​愛する​者​たち​よ,悪​を​憎め。神​は​ご自分​の​忠節​な​者​たち​の​魂​を​守っ​て​おら​れ,邪悪​な​者​たち​の​手​から​彼ら​を​救い出さ​れる」。

21 アフリカ​の​ある​若い​兄弟​は​道徳​面​で​の​勇気​を​どの​よう​に​示し​まし​た​か。

21 今日​で​も​大勢​の​神​の​僕​たち​は,『悪​を​憎み,善​を​愛し​て』いる​こと​を​実証​し​て​い​ます。(アモス 5:15)アフリカ​の​ある​若い​兄弟​は,同級​生​の​大胆​な​女​の​子​から,セックス​させ​て​あげる​から​数学​の​テスト​の​時​に​助け​て​ほしい​と​頼ま​れ​まし​た。その​時​の​こと​を​振り返り,こう​述べ​て​い​ます。「すぐ​に​断わり​まし​た。忠誠​を​守る​こと​に​より,自分​の​尊厳​と​自尊​心​を​保て​まし​た。それら​は​金​や​銀​より​も​はるか​に​価値​が​あり​ます」。罪​から「一時​的​な​楽しみ」が​得​られる​と​し​て​も,その​よう​な​安っぽい​興奮​に​は​多く​の​痛み​が​伴う​もの​です。(ヘブライ 11:25)さらに,エホバ​へ​の​従順​が​もたらす​永続​的​な​幸福​と​比べれ​ば,そう​し​た​楽しみ​は​全く​取る​に​足り​ませ​ん。―箴言 10:22

憐れみ​の​神​から​の​助け​を​受け入れる

22,23 (イ)重大​な​罪​を​犯し​た​クリスチャン​の​場合​も​状況​は​絶望​的​で​は​ない,と​言える​の​は​なぜ​です​か。(ロ)悪行​者​は​どんな​助け​を​受ける​こと​が​でき​ます​か。

22 不​完全​な​わたしたち​は​皆,肉​の​欲望​を​抑え​て​神​の​目​に​正しい​こと​を​行なお​う,と​苦闘​し​て​い​ます。(ローマ 7:21‐25)エホバ​は​それ​を​ご存じ​で​あり,「わたしたち​が​塵​で​ある​こと​を​覚え​て​おら​れ」ます。(詩編 103:14)と​は​いえ,クリスチャン​が​重大​な​罪​を​犯し​て​しまう​こと​が​あり​ます。その​人​の​状況​は​絶望​的​でしょ​う​か。決して​そう​で​は​あり​ませ​ん。悪行​者​は,ダビデ​王​と​同様​に​苦い​実​を​刈り取る​こと​に​なる​か​も​しれ​ませ​ん​が,悔恨​の​情​を​抱い​て​罪​を『あらわ​に​告白​する』なら,必ずや​神​は「進ん​で​許し​て​くださる」でしょ​う。―ヤコブ 5:16。詩編 86:5。箴言 28:13

23 それ​に​加え​て,思いやり​深い​神​は,クリスチャン​会衆​に「人々​の​賜物」を​備え​て​おら​れ​ます。資格​が​あり,助け​に​なり​たい​と​の​願い​を​抱く,円熟​し​た​霊的​な​牧者​たち​です。(エフェソス 4:8,12。ヤコブ 5:14,15)それら​牧者​たち​が​目指す​の​は​悪行​者​を​援助​する​こと​です。神​と​の​関係​を​回復​する​よう,そして​賢人​の​述べ​た​とおり「心​を​得​て」,罪​を​繰り返さ​ない​よう,援助​する​の​です。―箴言 15:32

「心​を​得る」

24,25 (イ)箴言 7​章​6‐23​節​に​出​て​くる​若者​は,「心​の​欠け​た」者​で​ある​こと​を​どの​よう​に​示し​まし​た​か。(ロ)どう​すれ​ば「心​を​得る」こと​が​でき​ます​か。

24 聖書​は,「心​の​欠け​た」人​と「心​を​得る」人​に​つい​て​述べ​て​い​ます。(箴言 7:7)「心​の​欠け​た」人​は,霊的​に​未熟​で​神​へ​の​奉仕​に​おける​経験​が​浅い​ため​に,識別​力​や​判断​力​が​不足​し​て​いる​でしょ​う。箴言 7​章​6‐23​節​に​出​て​くる​若者​の​よう​に,重大​な​罪​に​陥り​やすい​か​も​しれ​ませ​ん。しかし,「心​を​得る​者」は,祈り​の​うち​に​神​の​言葉​を​定期​的​に​研究​する​こと​に​より,内面​の​自分​を​注意深く​調べ​ます。そして,不​完全​な​人間​と​し​て​可能​な​程度​に​まで,自分​の​考え​・​欲求​・​感情​・​人生​の​目標​を​神​に​是認​さ​れる​事柄​に​合わせ​ます。その​よう​に​し​て,自分​に​とっ​て​恵み​と​なる​こと​を​行なう​と​いう​意味​で「自分​の​魂​を​愛し​て」おり,『善​を​見いだし』ます。―箴言 19:8

25 こう​自問​し​ましょ​う。『わたし​は,神​の​規準​の​正しさ​を​全く​確信​し​て​いる​だろ​う​か。その​規準​を​堅持​する​こと​が​最大​の​幸福​に​つながる,と​固く​信じ​て​いる​だろ​う​か』。(詩編 19:7‐10。イザヤ 48:17,18)もし​少し​でも​疑念​が​ある​なら,対策​を​講じ​なけれ​ば​なり​ませ​ん。神​の​律法​を​無視​する​こと​の​結果​を​よく​考え​ましょ​う。さらに,真理​に​沿っ​て​生き,思い​を​健全​な​考え​で​満たす​こと​に​より,『エホバ​が​善良​で​ある​こと​を​味わい​知り』ましょ​う。健全​な​考え​と​は,真実​な​こと,義​に​かなっ​て​いる​こと,貞潔​な​こと,愛す​べき​こと,徳​と​される​こと​です。(詩編 34:8。フィリピ 4:8,9)この​よう​に​し​て​ゆく​なら,神​へ​の​愛​が​育ち,神​が​愛さ​れる​もの​を​愛し,憎ま​れる​もの​を​憎む​よう​に​なる​に​違いあり​ませ​ん。ヨセフ​は​特別​な​人間​で​は​あり​ませ​ん​でし​た​が,『淫行​から​逃げ去る』こと​が​でき​まし​た。幾​年​も​かけ​て​エホバ​に​形作っ​て​いただき,心​を​与え​て​いただく​よう​に​し​た​から​です。あなた​も​そう​でき​ます​よう​に。―イザヤ 64:8

26 次​に,どんな​重要​な​点​を​考え​ます​か。

26 創造​者​が​人間​の​生殖​器官​を​お造り​に​なっ​た​の​は,わたしたち​が​単に​興奮​を​得る​道具​と​し​て​もてあそぶ​ため​で​は​なく,子孫​を​生み出し,結婚​関係​内​で​の​親密​さ​を​楽しむ​ため​です。(箴言 5:18)続く​二つ​の​章​で​は,結婚​に​関する​神​の​見方を​論じ​ます。

^ 4節 民数記​が​挙げ​て​いる​数字​に​は,エホバ​が​直接​処刑​し​た​人​だけ​で​なく,裁き人​たち​が​処刑​し​た「民​の​頭​たる​者」も​含ま​れ​て​いる​よう​です。後者​の​人数​は​1,000​人​だっ​た​か​も​しれ​ませ​ん。―民数記 25:4,5

^ 7節 汚れ​や​みだら​な​行ない​に​関し​て​は,エホバ​の​証人​の​発行​し​た「ものみの塔」誌,2006​年​7​月​15​日​号,「読者​から​の​質問」を​ご覧​ください。

^ 9節 ここ​で​言う“ポルノ”と​は,性的​な​刺激​を​与える​こと​を​意図​し​て​画像​・​文章​・​音声​で​描か​れ​た​扇情​的​な​もの​を​指し​ます。ポルノ​は,扇情​的​な​ポーズ​を​し​た​人​の​写真​や​絵​から,複数​の​人​に​よる​極めて​下劣​な​性的​行為​を​描い​た​もの​まで,様々​です。

^ 9節 マスターベーション​に​つい​て​は,付録​の「マスターベーション​に​打ち勝つ」の​項目​で​論じ​られ​て​い​ます。